□■舞踏はステップから入る■□

―たとえば和栗(由紀夫*注)さんも動物の踊りをやりますよね。そういう場合、舞踏のように具体的なところから抽象的な方向には持っていかないんですか? 具体的にやるんですか?

山:僕の舞踏は……。ジャンメイと話をしたことがあって。<足から>というのは僕とジャンメイの共通点で。芦川(羊子*注)さんがすごく緩やかなステップを、形から入らないでステップから入るんですよ。それは舞踏の足、すり足みたいな感じですけれど。そういうとこですね。

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*注:和栗由紀夫
土方巽の弟子。舞踏カンパニー「好善社」主催。CD-ROM『舞踏花伝』のリリースにより広く名前が知られるようになった。

*注:芦川羊子
土方巽の「暗黒舞踏派」の中心的ダンサーとして活躍。土方の死後、「トモエ静嶺と白桃房」を結成。土方舞踏の継承を続けていたが、すでに引退した模様。
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 僕は土方さんのことは分からない。でも「花」とか「馬」とか土方さんの場合でも、いろいろメソッドがありますよね。

 僕から見ると(土方さんは)ロマンティストだったように見える。自分のダンスを構築しようとした、非現実的なものをつくりだそうとする、それは形から入る。確かに形なんですけれども、僕自身は土方さんとは違った意味で、「これがセザンヌの老婆(*注)」とか、自分から「僕の舞踏の形」を作り出したいな、という気持ちはありますね。自分が動いて、自分が経験して、自分で発見していって(自分の持っているメソッドというものを)彼らに与えたいな、と思います。ですから舞踏を形ではなくて、足から生まれることと、自分の作り出すオリジナルは「夢」とか「花」とか、土方さんをモデルにするのではなく、自分からあるムーブメント(もしくは形)っていうか、言葉とイメージと直結したダンスをかれらに、自分から作り出して与えられたらいいな、と思います。それはある風景だったりするかもしれません。そういうことを土方さんは作っていたような気がします。

 これって形から入ってゆく西洋のダンスとは違って、絵を描き出してゆくような、というか、イメージというか風景というか、そういうのはすごくあります。

 例えば、舞踏なんかの場合、低姿勢でずっと止まっていて集中していると、時間と共にその人の人生の風景と向き合って「何しているのかを今」というのはありますよね。そのひと個人の風景を作り出すのに、土方さんの場合は時間で、ちょっとロジカルに体系をつくったと僕は思うんです。ちょっと言いづらいんですけどね。

 それとね、若いときにはつくれないものが絶対ある、という気がするんです。こういう風景みたいなものはね。

―ちなみによその国の人から「舞踏って何? 」と聞かれたら……

山:(即座に)答えづらいです。単純に言って、西洋的なもので構築された反対のものをやる、っていう。

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注:セザンヌの老婆
土方が考案した「舞踏譜(舞踏のスコア)」のひとつ
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◎「彼らのいいものをどう引っぱり出すか」がやりたいこと

―現地(セネガル)の人の頭の中の構図は、西洋のものと自分たちのもとと二つしかなくて、それ以外のものって眼中にないと思うんです。日本のものがポーンと入ってきた場合、どういう反応があるのかなぁ、と思いますが?

山:とりあえず、自分が踊って伝える。あと、すごく重要なことだと思うんだけど、彼らのいいものをどう引っ張り出すかということが、やりたいこと。それはもう少し時間を掛けて。一番最初に行ったときは「こういうもんなんだなあ」と思いつつ、二度目に行った時はワークショップやったんですけど、自分が持っているものを大体かれらに与え、次(三度目)は「どういう風にかれらから引き出すか」っていうワークショップをやりたいなあ、というのが今考えていること。

 やっぱり、ステップ踏んでずっと延々と踊り続けるあの強靭な身体はすごいですね。ニューヨークの(黒人)ダンサーはテクニックはもっとすごいです。アフリカ人ダンサーよりテクニックも持ってるし、洗練されてる。でもアフリカ人の持っているオリジナルな雰囲気は……「これだな」という、それはやっぱり強いな、と。

―都会では違うかもしれませんが、むこうではお祭りのとき三日とか四日とか、ぶっ通しで踊り続けるじゃないですか。稽古だと何時間ぐらい踊るんですか?

山:まず、昼は暑いから10時から11時ぐらいと、5時から9時ごろ。昼はやんないですね。

(間)

山:ワークショップでフランスへ行ったときも、振付家はステージに上がったときに、結果的にかれら(白人)の体型に当てはめようとするじゃないですか。それはやっぱり無理がなきにしもあらずですね。第一むこうの人たちってアカデミックなダンスをやりたいから、確かにコレオグラファーはそんなにアカデミックな振付家ではないんですけども、きれいに足を上げたりとかさせるんですね。やっぱり無理を感じているし。

 一方、僕のプロジェクトが来る前に、ドイツのコレオグラファーのスザンヌ・リンケという有名な方がやっていて、少し前に話題になって。第二弾は僕とジャンメイの作品ということになったんですけど。その作品も思想的なものを(ジャンメイが)無理やり彼らに与えて、その結果、やっぱり。

 作品的にはみんな死んじゃうんですけど、残された一人のダンサーがサルになって終盤を迎えるんですが。やはり気分的には悲劇の匂いなんですね。すごく西洋のものを無理やりはめ込まれている感じがするんです。もっとそれに対して僕は「彼らからのものをもっと発展させるようなことをやりたいな」と思っています。

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ジャントビーの外国人による振り付け作品

第一弾 スザンヌ・リンケ(Suzanne Linke)とアヴィ・カイザー(Avi Kaiser:exバッシェバ)
作品名="Le Coq est Mort"(http://www.kinodance.com/participants.html#jantbi参照)
第二弾 山崎広太とジャンメイ・アコギーの共同振り付け
作品名="RWANDA / Fagaala"
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―全員死んで一人残るというのは、ジャンメイの構想ですよね?

山:そうですね。ニューヨークでもそうなんですが、往々にしてむこうのダンサーが踊る公演って悲劇が多い気がするんですね。コンテンポラリーの場合、奴隷だった歴史とか、自分のことを掘り下げようとするといつも自分の暗い歴史性を背負っている気がするんだよね。

―それはもう、文学とかも一緒ですね。

山:ああそうなんですか。へえ。

―今は随分違うと思うんですが、悲劇じゃないものをつくると(黒人コミュニティーでは)受け入れられなかったんですよ。(*例:1920年代のハーレム・ルネッサンス期に活躍した作家/人類学者のゾラ・ニール・ハーストン。地に足のついた庶民の生活を取り上げると「問題意識がない」といわれ批判される。逆に社会を批判するような作品を作ると大きな共感を勝ち取ることができる。発展途上国には「作家は社会問題を扱うもの」という期待がある。

山:今まで意識していなくて今言われて分かったんですが、今年ニューメキシコで公演してそのときに受け入れたプレゼンター(の話で)は、アメリカの場合ですけど、白人サイドから黒人サイドに対してとっかかりにくいところはかなりあると思います。それと同時に黒人社会のコミュニティというのはすごく根強くあって。一方で白人サイドとして(人種の壁を)緩和したいと。やっぱりアメリカは確実に差別社会だからそういう壁はあるんだけど、一方緩和してもっとフラットに黒人社会との距離、駆け引きみたいなことができるといいなぁ、と思います。

 でも日本人で(日本人だからこそ)駆け引きができる。日本人ってやさしいじゃないですか。それが向いている人種だと思うんです。たとえば韓国だと、東南アジアだとちょっとちがうかなぁ、と。中国は絶対的に官僚が強いじゃないですか。ちょっとしたところにも中国人は入ってくるけれど、日本人が向いている気がします。

 たとえばアルビン・エイリーのディレクターですが、一番上の人は黒人ですけど、二番目の人は茶谷さん(茶谷正純*注)という日本人ですよね。

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アルビン・エイリーのディレクター
芸術監督 ジュディッシュ・ジャミソン=アフロ・アメリカン
副芸術監督 茶谷正純=日本人
参照=http://www.yomiame.com/yatexts/interv3f.html

 過去日本人男性でアルビン・エイリー舞踊団の正式メンバーになれたのは、茶谷正純、岡紀彦のふたりだけ。サブ・カンパニーであるRepertory Ensemble(現在のAillyII )の方も廖英昭と瀬河寛司だけで、毎年大勢の日本人がオーディションを受けているのにも関わらず、ことごとく敗退している。2000年に瀬河が入団するまでの15年間は、副芸術監督である茶谷氏一人だけがメンバーだった。
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