■サンタクロースと大野一雄
高松平蔵<在独ジャーナリスト>
ドイツ南部のフュルト市にカルチャー・フォーラムという文化施設がある。古い食肉工場を利用したオルタナティブ・スペースだ。施設内に非営利法人が運営している小さな映画館があるのだが、このほどダンスフィルムの連続上映がおこなわれた。その中の「Just visiting this Planet (この惑星に立ち寄る)」(ペーター・ゼンペ ル監督 1991年)を見た。
この映画は大野一雄の踊りや生活を描いたものだが、ゼンペル監督のイマジネーションが織り込まれている。また途中でニック・ケイブが登場したり、ニナ・ハーゲンが「アベ・マリア」をアカペラで歌うシーンなどがある。今見ると、大野翁を中心に 日独の当時の文化的雰囲気をフィルムという宝箱に大切に流し込まれたような作品だ。監督自身も1954年生まれ。81年から映画を撮るようになったというから、この時代と伴走していた人だ。
さて大野翁は長年、クリスマスになると横浜の上星川幼稚園へサンタとして訪ねている。映画でもそのシーンが登場する。子供たちが「サンタさーん」と何度か叫ぶ。そしてサンタのマスクをつけ、赤い衣装を着た大野翁が登場するのだ。
ドイツで家族と住む私の体験でいえば、日常生活を通じて欧州に端を発する「近代」を膚感覚で理解できていくようなところがあるのだが、クリスマスはそのひとつの象徴だ。というのも、近代社会では「愛」が家族の重要な幻想であり絆である。欧米の夫婦が日常的に「I love you」とささやきあうさまは日本では気障に、あるいは欺瞞に見える。が、これは幻想の大切な確認であり、キリスト教の影響がワンセットになっている。夫婦の愛は家族幻想の基本なのである。
したがって三世代そろって和やかに過ごすクリスマスは家族幻想の維持と確認をする一大セレモニーといっても過言ではない。また、クリスマスになると、人々は恵まれない人に何かしらの施しをする。あるいはそういうムードが広がる。これもキリスト教の愛の力だが、(愛を確かめあうような)家族のない人にも自分たちの愛をシェアしましょう、ということと考えてもいいだろう。
さて大野翁はよく知られるようにクリスチャンであるが、サンタの扮装をしたままの大野翁と夫人が寄り添いあうシーンなどはまさに「愛」を彷彿とさせる。また映画の中で自らを語るところがあるが「自分の命を大切に、自分の命を人の命にささげるように・・・」といったふうな発言もあるが、キリスト教の愛のかたちを思い起こさせる。
こういうフィルムをドイツで見ると、欧米の人たちは大野翁の踊りの奥にキリスト教の愛を見出し、そして受け入れていたのではないかと感じる。オリエンタリズムなどとは一線を画す受け入れ方だ。いつぞや英文の資料で大野翁のことを「Father of butoh」という説明がついていたのを読んだことがあるが、このFatherを「神父」と翻訳すると案外、大野舞踏の大切な部分が見えてくるかもしれない。
ところで大野翁が普段着と思われる茶色のジャケットを着て「きよしこの夜」にあわせて幼稚園の舞台で踊るシーンなどもあるのだが、不覚にも涙がでそうになった。
映画館の受付に貼られたポスター。P.A.N.通信 Vol.60掲載