■日本のコンテンポラリーダンス(2)

 武藤 大祐<美学/ダンス批評>

 今年9月17・18日、シンガポールで日本のコンテンポラリーダンスに関するレクチャーを行った。これはオン・ケンセンが芸術監督を務める「シアターワークスTheatreWorks」の新しい拠点、「72-13」のオープニング・イヴェントの一部として開かれたもので、イデビアン・クルーやコンドルズ、手塚夏子、身体表現サークルなど、90年代以降の日本の新しいダンスを二日に分けて映像とコメントで紹介し、質疑応答の時間も持った。両日とも予想以上に多くの聴衆が集まってくれたが、穀物倉庫を改築した「72-13」の二階のロフトのような空間にカラフルなクッションをたくさん転がし、終始リラックスしたムードで話を聞いてもらうことができた。
 そこで出された質問のうち、最も面食らったのが黒田育世についてのそれだった(ちなみにこの日は『SIDE B』と『SHOKU -solo version-』の映像を流したのだが、ちょうど少し前にエスプラネードという大きな劇場で『SHOKU』が上演されたばかりだった)。ある若手の振付家が、「黒田育世はフェミニズム的な意識でこういうことをやっているのか」というのである。「こういうこと」というのは要するにあのエロティックにして奇妙に快活な、いわば「女の八方破れ的な暴れっぷり」のことだ。筆者は質疑応答に先立ち、黒田が作品中でしばしば「心理学」的なイメージを仄めかしている事実と、黒田のソロが身体的な限界を突破するまで踊りまくる傾向のものである事を指摘しつつ、黒田は「意識のコントロールの向こう側にある、無意識としての身体」に関心を向けているように思う、とコメントしていた。そうしたことも含め、この質問者は黒田のダンスから「社会的抑圧から解放される女性」という解釈を引き出したのだろう。確かに黒田のカンパニー「BATIK」は女性ばかりだし、理に適った見方で、それだけにかえって虚を突かれた気がした。正直なw)ところ黒田の舞台を見ながらそこまで「女性」とか、「性」を意識したことがない、と気づいたのだった。
 ところで筆者はこのレクチャーの最初に、90年代以降の日本のコンテンポラリーダンスの歴史的なコンテクストを説明していた。要約すればこうなる。50年代末に生まれた舞踏の後、勅使川原三郎まで日本のダンスには革新的な動きはなかったのだが、バブル経済全盛の80年代後半から90年代前半にかけて主にヨーロッパから新しいダンスが次々に紹介され、その刺激を受けて日本でもアーティストが現れ始めた。外国からの輸入とその縮小再生産の時期を経た後、90年代後半から現在にかけて徐々にシーンが形成され、「コンテンポラリーダンス」という呼称とともに独自の表現が生まれてきた。その特徴は、規範的な価値観をもたず表現の多様性を積極的に肯定する点にある。バレエがある様式的規範に準拠するダンスであり、舞踏がそうしたものへの過激な反発を動力源とするダンスであるとすれば、コンテンポラリーダンスには規範も敵もなく、その表現の動機は個々人の生(身体)におけるダンスの意味を改めて問い直すところにある。この問い直しは、まず第一に、ダンサーの身体と観客の身体の等価性に根拠を据えるだろう。なぜなら両者を差別w)化する制度的なヒエラルヒー(職業的な専門性、あるいは「特権的肉体」など)はもはや自明な前提とならないのだから、まず「日常」を生きる身体としてのダンサーと観客、ここから出発する他ない。そして第二に、身体と身体のコミュニケーション(ダンサーとダンサー、ダンサーと観客)はいかにして可能なのか、ということが中心的な争点になるだろう。なぜなら規範によって束ねられていない人々は、一人一人がバラバラで多様な存在だから――。
 しかし話はそう簡単ではなかったのだ。シンガポールの振付家にとって、「日常的身体」はそんなに簡単に「バラバラで多様」ではなかった。黒田育世は「黒田育世」である前に「女性」なのだった。そして恐らくは「日本人」でもあっただろう。要するに、個々の身体はこうした諸々の社会的・政治的カテゴリーによって重層的に包み込まれているのであり、日本のコンテンポラリーダンスではこのことがあまりにも意識されていないのではないか、と思ったのだ。(続く)

P.A.N.通信 Vol.60掲載