■「地域密着」ではなく、「地域にある」

 高松平蔵<在独ジャーナリスト>

 9月の終わりの日曜日、私が住む街のお隣のフュルト市市営劇場へ行った。この日は「オープンド ア・デー」。劇場前の広場にはお酒や軽食が楽しめるようにしてあり、特設の舞台がしつらえられている。時間も11時から19時までたっぷりである。
 ざっとプログラムをみると、特設舞台でジャズ演奏からマジックといったエンターテインメント系のも のもある。さらに地元の人気女優ユッタ・クチュルダさんと劇場の運営責任者ヴェルナー・ミュラーさんによる新しい「ホン」のプレゼンテーション、そして技術責任者による劇場設備の紹介やワークショッ プ、「公開ゲネ」などてんこ盛りだ。
 やって来る人々は老若男女。親子連れも多い。この劇場のロビーはアートギャラリーにもなっていて、シャンペン片手に楽しむカップルや、おしゃべりに花を咲かせている人もいる。さらにこの中を「ミューズ」が歩く。これは今シーズンのプログラムなどの表紙を飾るモデルさんで、筒状のかごに「ハッピー・スナック」を入れて販売する。1つ1ユーロ。この収益は劇場につかわれる。
 この劇場は約100年前に建てられた古くて立派なものなのだが、こういう日は劇場の生命のよう なものががぜん輝いているように見える。もちろん日頃の運営手腕の高さがあってのことだが、それにしても建物は“人”がつくっていくものだという
ものだと痛感させられる。
 ところでこの日、実をいうと市の「オープンドア・デー」の日であった。消防署や公的機関、そして宮殿を思わせるような市役所も扉をあけている。フュルト市はこれらの施設が密集しており、劇場もこ の一環で扉をあけていたというのが正しい。同市は人口10万人。日本の地方ではザラにあるサイズ だが、この日は2万人が訪ねたというからかなり多いといえるだろう。
 もちろんこの数字の背景にはドイツの事情もある。まず職住近接で労働時間も短い。つまり人々にとって街は働いたり、家族で過ごすための「プラットフォーム」なのだ。そこへかの国の日曜日は基 本的にお店は休みという事情が加わる。日本のように消費型の娯楽や買い物ができないのだ。ドイツはもちろん市場経済の国だが、商店の営業時間の規制など法律で社会的なコントロールをしてい るわけだ。日本に比べて時間がゆっくりと感じるのはこうしたところに拠るものだと思う。人々は友人を訪問するとか、家族とのんびりすごすことが多い。そんな中での市のオープン・ドアだ。これは人々 にとって娯楽でもある。同時に自分が住む街をよく知る機会にもなっている。
 ところで10年ぐらい前、日本では公共ホールなどの「ハコモノ批判」が盛んに行われ、ホールは誰のものか、運営方法はどうあるべきか、といった議論もよくなされたものだ。だが、フュルト市の様子 を見ていると、劇場は明らかに「市」のものであり、市そのものがオープン・ドアという市民とのコンタ クトを持つ方法論をきちんと持っているということがいえる。市と人々のあいだにまず強い愛着感を生 み出す土壌や制度があって、これをベースに街の劇場が成り立っている。劇場が「地域にある」とい うデンとした存在感はシアター・マネジメントだけでできるものではないと思う。

P.A.N.通信 Vol.59掲載