■introduction

 武藤 大祐<美学/ダンス批評>

 アジアの国に来たのは初めてなのだがとにかくシンガポールを経てジャカルタを経て今は中部ジャワのジョクジャカルタにいる。ジャカルタはハチャメチャに混沌とした大都市だったがここは静かで人々も落ちつきゆったりしている。日本人や欧米の人々も多く住み、小都市特有のハイブリッドなコミュニティ感覚である。夜になるとシャックリみたいな声がどこかから聞こえてくるが、人から聞いた話によればトッケイというトカゲの一種で臆病かつ凶暴なのだという。トッケイという名前は聞いたことがあるが姿は知らない。確かにトッケイ、トッケイと鳴いているように聞こえる。声といえばインドネシアでは一日に数回コーランが街中に響き渡る。どうしても「石焼き芋」に聞こえてしまうのだが、ドイツ語を話す若者たぼ/div>
!が流れてくるコーランに合わせて鼻歌のように歌っていたりした。
 今回のアジア滞在はアジアン・カルチュラル・カウンシルからの助成によって実現したもので、この後はニューヨークに半年ほど滞在して60年代アメリカのダンスを調べることになっている。とはいっても最終的な目的は日本のコンテンポラリーダンスを広いグローバルな視野から再文脈化しつつ、一定の歴史意識のもとに批評的な理論を立ち上げることにある。日本のダンスが奇妙な隆盛を迎えていることは確かだが、その本質がいったい何であり、アーティストや批評にとっての争点は何なのかといった議論は甚だしく立ち遅れている。今日の世界のダンスあるいは文化の状況の中で、日本のコンテンポラリーダンスはいったいどんな位置にあって何を遂行しているのであるか、それをつかみたいと思うわけである(しかしそこ
で何故60年代アメリカなのか、これについては追々書く)。
 まず今回最初に訪れたシンガポールへは、シアターワークスの芸術監督、オン・ケンセンからの招待を受け、毎日数人のアーティストや教育機関の責任者らに会い話を聞くことができた。そのうちの一つでは、アジア各国のダンスを徹底して包括的に学べるようなプログラムが組まれていた。中国の古典とフォーク、ジャワの古典、インドの古典、朝鮮舞踊、ヨーロッパの古典(=バレエ)、モダン、コンテンポラリーなどといった具合に生徒たちは片っ端から学んでいく。
 こうした「百科全書的」ともいうべきアプローチは、コンテンポラリーダンスのアーティストの間でもよく見られ、アジアにおけるグローバリゼーションと価値相対主義の状況をよく示していると思う。既存のローカルなダンスの技法や様式を重視し、自分たちのバックグラウンドを出発点にしつつ折衷的ないし異種混交的な振付を作る。あるいは「モダン」な作品構成の内部で引用を行うことによって民族や共同体のアイデンティティに言及し、社会的な問題を主題的に表現する。ドイツのラオコーン・フェスティヴァルに参加したある作品の冒頭は、巨大なスクリーンにラーマーヤナの物語を扱ったワヤン(ジャワの人形劇)の画が映し出され、それを背景に立つ二人のダンサーがジャワの古典舞踊の闘いの場面を極度に遅いスピードで踊る。普遍にして永遠の大いなる闘争を象徴的に表現するこの引用は、シックな黒のワンピースのダンサーの群舞の中に挿入され、異質な時空間同士の接続が劇的な緊張感を生んでいた。マレーシアのマーシャルアーツを基礎にもつフィジカルシアターのアーティストは、ムーヴメントに的を絞った内省的なソロの連作に移行する前はマレーシアの部族的な祭儀を取り込んだ大規模なスペクタクルを作り上げたこともある。彼女はピナ・バウシュの『カーネーション』から大きな影響を受けたと語っていた。
 ともかくこうしたインタヴューを、常に日本のダンスとの比較を念頭に置きながら連日行った。比較という手続きは、それまで当たり前と思っていたことを改めて捉え直し、それが決して当たり前などではなく何らかの特殊な歴史的経緯があってそうなっているのだということに気づかせてくれる。日本のコンテンポラリーダンスにおける「無意識」を検証し意識化する作業にようやく着手できたような気がしているのだが、どんなことが見えてきたか、これから毎号書いていきたいと思う。(続く)

P.A.N.通信 Vol.59掲載