■やっぱり世間ではまだまだなのかな

 上念省三<関西国際大学コミュニケーション研究所>

 今さらだが、世間でダンスというのは、どのようなものだと受け止められているのだろう? バレエやソーシャルダンスでなければ、歌手のバックダンサーたちのダンスや、一時話題になった武富士のCMで使われていたダンス、それに「よさこい」あたりが代表的なところだろうか。
 「female」という映画を観たのは、もちろん長谷川京子や高岡早紀や大塚寧々のセクシャルなシーンへの興味も津々だったが、5つのオムニバス作品のつなぎにダンスが使われていると知ったからだ。モーニング娘。などの振付で知られているという夏まゆみの監督・振付(という肩書きも新鮮)による「エロティシズム全開に演出したダンス」(プログラムによる)がオープニングとエンディング、そしてインタールードにあしらわれていた。
 この作品は、女性作家5人が映画化を前提として「女性」をテーマに書き下ろした短編小説を、5人の気鋭の監督が料理するという企画である。姫野カオルコを篠原哲雄、室井佑月を廣木隆一、唯川恵を松尾スズキ、乃南アサを西川美和、小池真理子を塚本晋也、というラインアップである。
 夏まゆみというコレオグラファーは、エロティシズムを表現するにあたって、ごく平凡な向き合い方をしたように見えた。ベビードールやガーターベルトなど煽情的なコスチューム、極度に下からのカメラ、自慰を思わせるような指の動き、腰のグラインド、
云々。これは5つの小説や映画に見られた、多様で工夫を凝らした女性性、エロティシズムへのアプローチに比べると、何とも単調で、驚きも裏切りもあざとさもなく、そう長くはなかっただろうそのパートは、大変長く、居心地悪く思えてしまった。身体の語彙が、決定的に不足していると思った。
 ぼくがこのコレオグラファーの能力や技術以前に不審に思うのは、プロデューサーやコーディネーターたちが、なぜ彼女を選ぶに至ったかということだ。フジテレビやWAVE、新潮社にいたような人たちが集まって、「僕自身、ダンスについて詳しいわけではないので、ダンサーたちにリサーチしてみたんです。そうしたらダンサーの中で夏まゆみさんの評価がものすごく高かったんです」と、これをリサーチと呼べるのかというような作業の結果、選ばれたということなのだが、いくら詳しくなくても、どこの誰に何を聞けばいいかぐらいのアンテナは持っていなかったのだろうかと驚くとともに、ずいぶん芸術としての評価が高まってきていると思っているコンテンポラリーとかモダンとかいうダンスが、外に向かっては窓口を持ちえていないのだろうかと、脱力感のようなものを感じてしまった。
 こういう状況とは離れて、ダンサーたちはクオリティの高い作品を送り出しているわけで、安川晶子とマイケル・シューマッハとのダブル・ソロ、デュオなどは、様々な面で面白いステージだった(4月30日、Art Theatre dB。翌日の森美香代のステージを見
れなかったのは残念)。安川特有の捨て身のユーモアと、硬質で魅力的な動きのミクスチュアがひじょうに効果的だったのは、安川のやんちゃを受け止める形でマイケルを存在させていたからかもしれない。マイケルが入ってくると、安川が「あっ、外人や、外人や」と観客を笑わせ、大きなスピーカーの陰に隠れる。やがてマイケルの大きな弧を描く動きをまねる安川がマイケルにしがみつき、振り払われ、倒されたりするのがおかしくて、コンタクトすることを思い切り逆手に取ったようでありながら、かえってドラマティックなほどにコンタクトの切実さを描き得ていたように思う。緩やかに互いの身体・存在に干渉し合う動きを繰り返し、それが深められ、最後は二人が折り重なるような形になって暗転。他者である二つのものが溶け合っていくのに立ち会えたような感動があった。

P.A.N.通信 Vol.57掲載