■踊りまわり(25)−テレビを消して、まちへ−

 小暮宣雄<京都橘女子大学教員>

 テレビの出現で消えてしまったものをいまさらそのままに復元できると思ってはいない。広告を不特定多数へ向け大量かつ効果的に打つには、音楽を使った応用芸術である街角のチンドン屋さんより、ラジオやテレビなどマスメディアによるコマーシャル音楽の方が効果的であるのは、どちらの殺傷力が竹やりと原子爆弾では強いかを問うぐらい自明である。
 去年、チンドンのことを調べ、学生にチンドン隊を作るよう誘導したら予想しなかったほどの反響があり、驚いた。まちと音楽に向かう学生自身の変化もまた大きい。文化のまちを標榜しているわが学科においては、日常の風景にあるアーツを頭で考えることより、商店街や観光地に出て練り歩き、鴨川の河原で練習することで体感するもののほうが得るものは大きいように思える。一言で言えば、直接触れ合ったまちの人から「いいわ、なつかしい」と言ってもらえることによる喜びである。
 チンドン屋のきっかけとして、トーキー映画の出現により失業した楽師があったのと同じく、そこで失業した映画の弁士もまた、その一部は紙芝居屋に流れたようである。さらに、チンドン屋の発祥としてアメ売り屋があったといわれているが、紙芝居屋の自転車には水飴などが乗っており、飴などを買わなければ紙芝居は始まらなかった。つまり飴を売るために紙芝居を演じていたわけで、実際、戦前に創業された大日本画劇株式会社には明治製菓などが出資していた。
 大学と地域とのアーツ企画として、チンドンの次は紙芝居と思っているのも、チンドンと同じく紙芝居も「昔懐かしい」もの、テレビによって消えたものであり、どちらも高級芸術、マスアーツに対するアンチテーゼとして考えたい「街角芸術」であるからなのである。去年「いまどきアーツ」というテレビ番組でコンテンポラリーダンスなどを紹介したが、その折にNHKの人が、従来「チンドン屋」は差別用語だと言っていた。それに「まるで紙芝居のよう」というのは、テレビカメラマンに対する侮蔑の言葉にもなる。
 民間テレビ放送がはじまり、街頭テレビが警察とのタイアップにより実現されてから、急速に街頭紙芝居は姿を消した。紙芝居を手描きで描いていた人たちの一部は漫画家になったりアニメへと移ったりした。ただで見られるテレビに手でしかコマが送れない紙芝居が勝てるわけはない。そして、受像機が安くなるとテレビは瞬く間に全国のお茶の間に侵入する。空き地も遊び時間もなくなって、子どもたちが街角でたむろする時代は終わる。
 いまになって、手描きの紙芝居が、さまざまな街角で、数十人の子どもたちに日替わりで伝達されている風景を想像すると、なんと素晴らしい実演光景だったかと思い嘆息する。全盛期には1日170万人の子どもたちが、肉声で語るおじさんの紙芝居を間近で見ていたのだから。紙芝居のおじさんの声色、手振り、紙の抜き取りスピード、観客の反応、厳しい批評。どれ一つとっても実演芸術のための幼児体験としてとても大切なものであった。でも、ただ研究室でため息ばかりついていても仕方がない。
 次に消える番は片方向、大量伝達型のテレビですよ!といえるために何が出来るのか。竹やりではなく、チンドンと街頭紙芝居の原点を見据えて、今年は考え企画してみようと思っている。


「いまどき一番〜ARTS」出演

P.A.N.通信 Vol.55掲載