■余暇とアートのはなし
高松平蔵<在独ジャーナリスト>
アパートやマンションの類で一番下の階に人気があるのがドイツ。狭くとも芝生の庭があるからだ。そして夏場はテラスで食事をしたり、酒を飲んだり、読書や日光浴をするのが彼らのくつろぎなのだ。だから上の階のバルコニーでも結構広く、椅子やテーブル、そして植物を置いて、必死に(?)くつろぎの空間をつくる。このスタイルは公共の空間にも拡大する。たとえば私が住むエアランゲン市(バイエルン州、人口10万人)の市営プール。芝生と木に囲まれた広場に野外プールと室内プールがついているという表現が正しい。人々も芝生に寝そべって、本を読んだり、日光浴をしたり、トランプなどのゲームに興じる。
街の真ん中に宮殿庭園がある。かつて貴族の持ち物だったものだが、今では誰でも自由に出入りできる。やはりここでも人々は散歩したり、ベンチに座って日向ぼっこをしたり、寝そべって本を読んだりしている。
この庭園はアートの場にもなる。たとえば毎年8月末には文学系のフェスティバルがある。横長のベンチとテーブルがならび、人々はそこでコーヒーやビールを片手に、日長一日、著述家や評論家の朗読やスピーチに聞き入るのだ。
もっと気軽なものもある。ダンス系のフェスティバルがあれば、ここで野外公演が行われるし、毎年5月から8月にかけて日曜日に無料コンサートが開かれる。コンサートといってもアーティストは大きなパラソルの下で演奏するだけ。すこし大掛かりなストリートミュージシャン、と言った感じの実に簡単なしつらえだ。聴衆は老若男女。たまたま庭園に来た人が足を止めていくことも多いが、あらかじめ公演やコンサートを知る人はスタートの時間に合わせて集まってくる。毛布を敷いて万全のくつろぎ体制をとる人も少なくない。ちなみに日本のようなナイロン製のピクニックシートは使わない。ピクニック用に裏がナイロンになったものもあるが、基本は毛布だ。
展開されるアートはディナーショーのようなエンターテインメント化されたものではない。ダンスならコンテンポラリーなものが行われるし、無料のコンサートでも宮廷音楽からジャズ、民族音楽、東欧のユダヤ音楽「クレッチマー」など幅広い。文学系のフェスティバルのときは現代音楽の演奏があったりもする。 こんな様子をみると宮殿庭園も自宅の庭やバルコニーの延長線上にある自分のくつろぎの空間であり、そんな空間にアートが展開されていることがうかがえる。ありきたりの言い方になるが、実に生活と身近なのだ。コントラストを強くしていえば、日本で展開される「公園でアート」はどうも企画モノっぽいし、制作する側も見る側も気張りすぎ。ということになる。
アーティストが放つ才気には驚きや触発されるものがある。力のある作品は心にぐいっと入り込んでくる。公共の余暇空間を管理しているのは行政だが、余暇空間の質を高めるアートのプログラムを主催しているのも多くが行政なのである。この余暇とアートをうまくつなげるセンスに文化政策のヒントが隠れているような気がする。
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宮殿庭園でのパフォーマンス P.A.N.通信 Vol.53掲載