■あらがいを抱えた運動体として

 上念省三<関西国際大学コミュニケーション研究所>

 バレエには詳しくないが、時々観るとけっこう楽しい。今回取り上げる「ルグリと輝ける仲間たち」(7月26日、フェスティバルホール)などは、テクニックにも作品にも何の意見をも差し挟む余地がないという点で、まことに気楽に観ていられる。それでも取り上げようと思うのは、本当に初めてバレエを、というか人の身体が動くのをお金を出して観る人のような気持ちで、ワクワクしながら、ルグリを観たからだ。
マニュエル・ルグリ、パリ・オペラ座バレエ団のエトワールで、この秋40歳になるらしい。すごかった。まず第一幕の最後に「エンジェル」(振付=レナート・ツァネラ)という作品を踊った。アルヴォ・ペルトの「フラトレス」が響き、幕が開くと彫りの深い背中を見せてルグリが立っていた。もうそれだけで何かそこに壮絶なものがあることを知らされ、あとはただただその動きを目に焼きつけてさえいればよかった。
ルグリはバレエダンサーとは思えないほど腰を落として重心を深くし、大地からエネルギーを直接得ているようだった。彼の中にはしなやかさと硬さ、やわらかさと剛さが共存し、あるいは激突して破裂していた。そのようなあらがいを内に抱えていることが、運動体として存在を支えていた。
 「幻想『白鳥の湖』のように」(振付=ジョン・ノイマイヤー)では高度なテクニックが見せられていることを忘れるほどの情感のほとばしりに陶酔。ガーシュインの歌曲による「フー・ケアーズ?」(振付=ジョージ・バランシーン)の第4ヴァリエーションでは、一転してスケールの大きなエンターテイナーぶりで、観客を引っ張り、引き込む魅力を見せた。
他には、メラニー・ユレルとヤン・サイズによる「モーメンツ・シェアード」(振付=ルディ・ヴァン・ダンツィヒ)が、全編に流れる叙情の豊かさと様々なリフトのボキャブラリーの豊かさによって深い感動を与えてくれた。また、エトワールのオレリー・デュポンとマチュー・ガニオによる「エスメラルダ」のパ・ド・ドゥは、ただただデュポンの素晴らしさにみとれていればよいのだが、流れる音楽と手に持ったタンバリンの関係から、外部に流れるものを強引にでも自分の中に取り込んでしまおうとする強い意志が見られたようで、面白かった。
由良部正美は森美香代、山本公成(sax)、大森一宏(piano)を迎え、「Dance &Music Improvise Session」と題して即興を繰り広げた(7月27日)。会場は大阪府立文化情報センターの「さいかくホール」という会議室のようなスペース。椅子を二重の円形にならべ、演壇のようなステージ部分にミュジシャンを置き、最小限の照明を効果的に使って、意外に(と言うのも失礼か)ダンスの空間ができ上がっていたことにまず感動。プロデューサーの大亦さんはじめスタッフの工夫がみごとだ。
即興というものの面白さや難しさはいろいろあるだろうが、適当に空いた席に由良部や森が座ってみたり、由良部がピアノの大森をはがいじめにしてみたりといった、外部への働きかけから新たな動きや感覚の要素を取り込んで展開していくプロセスが面白かった。由良部の上体の大きな揺れ、森の大きく足を上げた一歩の大きさが、動きとして印象に残っている。

P.A.N.通信 Vol.52掲載