■誤解

 高松平蔵<ドイツ在住ジャーナリスト>

 先日、一時帰国したとき、なりゆきで哲学者ヴィトゲンシュタインをモチーフにしたパフォーマンスを見る機会があった。詩の朗読や映像、そしてレゲエを組み合わせたもので正直なところ、よくわからないものだった。それと同時にものすごい違和感を覚えた。
 この違和感はなにやら覚えのあるものだった。どこで感じたものかと思いをめぐらせると、10数年前にはじめて白人が白塗りをして踊っていた舞踏作品を見たとき、あるいは、あるドイツ人のセラミックアーティストが日本の焼き物にぞっこんで、デカイ手でろくろを回してつくった茶碗を見せてくれたときの感覚だ。
 舞踏は日本人の身体にあわせてできたものだから外国人は踊ってはいけないとか、逆に日本人のくせにヴィトゲンシュタインを扱ってはいけない、という気はみじんもない。ただ、私が感じた違和感をもみほぐしていくと、どうやら、誤解という言葉がぴったりきそうなのに気がついた。
 もう少し卑近な例をあげると日本のビール会社の工場で行う「ドイツのビール祭り」の奇妙さがそうだ。その土地の風土や歴史、生活パターンの中で成立してきたものをよその人間がよその土地で再現するときに、程度の差こそあれ、誤解や勘違いが含まれるのだ。余談めくが、そもそも日本などというのは漢字や仏教にはじまり、常に外国のものを輸入してきた経緯があるが、よくみると広い意味で誤解や誤訳のまま定着しているものも少なくない。おおげさにいえば、アメリカの文献にホットドッグという言葉をみつけて、「ふーむ、アメリカ人は熱い犬を食べるらしい」という解釈が定着して広がるようなものである。
 話しをもどそう。異文化交流という見地からいえば程度の差こそあれ、常に誤解や勘違いがつきまとう。距離をおいてみると、そこに面白さもある。ドイツに住みながら日本の文化を愛好したりするドイツの人々に会うと、どういうふうに消化しているかが面白いのだ。
 先に少し触れた舞踏もそうだ。パリにはフランス人の「ブトー・マスター」がたくさんいると聞く。毎年欧州をまわっている藤條虫丸さんによると、舞踏を体系的にまとめた本もあるらしい。そこには舞踏には「ホワイト・ブトー」「ブラック・ブトー」というようなまとめかたがしてあるとかないとか。そんな話をきくと、日本で舞踏を体系的にまとめたような本をつくる必要すら感じる。
 ドイツでも「ブトー」にお目にかかる。先日フライブルグという街で行われた「カルチャー見本市」でも大道芸などのブースがたくさん出たが、その中でミュンヘンの舞踏グループが出展していた。もちろんドイツ人によるものだ。
 私が住む街の隣、ニュルンベルグにも熱心な舞踏ファンがいる。彼らの共通点といえば、エスニック趣味や食生活では魚や野菜を好むような傾向があるように思う。90年代後半、ディエゴ・ピニョンというメキシコ人の舞踏アーティストがたびたびニュルンベルグを訪ね、ワークショップや公演を行っていた。彼の存在が求心力となってニュルンベルグで舞踏ファンの交流が盛んになっていたと思う。その頃知り合った人たちはその後、ヨガに傾倒したり、精神を病んだりしている人もいるようだ。彼らの中に舞踏が食い込んだ結果なのかもしれない。

P.A.N.通信 Vol.50掲載