■踊りまわり(15)〜「レッスンプロ」の悲哀〜

 小暮宣雄<京都橘女子大学文化政策学部教員>

 新年度になって俄然アーツマネジメントを教える機会が増えた。これは痛し痒しである。教えていると自分が現場に出られなくなってしまうからだ。それにダンスについていくら教室で語ったところで観たこともない人たちにその中身を伝えることは出来ない。だから結局、鑑賞しようかなという気持ちにどうしたら彼女たちがなるかという手管を考えることになる。最近は自分が芸術環境観察をする機会が減ってきているから、これはきっとゴルフなどでいう「レッスンプロ」の悲哀だろうと気づく。そうだ、レッスンプロをバカにしてはいけないのだ。
 ただ、学部生はダンスを観てレポートを書かないと単位にならないということが分かると比較的素直に応じてくれる。この前のダンスシアターdBでの舞踏鑑賞では予想を超えた参加者があり、あとから来たお客さんに迷惑をかけてしまった。3回生にもなると、大学を出て何をしたと問われたときに、授業で印象に残ったものがないととても寂しいなあと思うようになるからである。それに就職活動のことも考えるようになっていて、文化政策を学んだってそれってどんなことなの?って聞かれたときのネタが欲しいと考え出すからでもある。
 一方、夜に社会人中心の大学院でアーツマネジメントの講義をしていると、とても強硬な意見が出たりもする。先日も、ぼくがNPO法人のJCDNやDANCE BOX、それに栗東市のさきらが行う「リビングルーム/さきら編」の企画を説明して、これからアーツマネジメントにおいて最も注目すべきサービスオーガニゼーションの役割を説明していると、最後に「どうしてくだらないと自分は思うダンスのことばかり90分も使って説明するのか」と言われた。
 その社会人入学の発言者は、昔友だちの演劇公演を観ているとそこにダンスが挿入され、それがひどかったからダンスはよくないと言う。MTVで踊っているシーンはかっこいいけれど、演劇の合間のそれはリズムにあっていない、と。これが彼のダンス鑑賞経験のすべてなので、うーんと思っていると、それに体操やスケート競技でも「芸術点」がありそれも観ているから自分はダンス芸術を語る資格があり、それもつまらない・・と滔々と語ってくれる。
 「ダンスを観てから発言したら」とばしっと言うべきだっただろうが、みんながダンスを好きになることなんか絶対にないし、そもそも人格とか感性が出来上がっている理屈優先の受講生にはむずかしいのかも知れない。コンテンポラリーダンスという分野があってそれを大切にしている人もいるということが理解できて、そういう人たちの邪魔をしないでいただくようになれば十分だろう。だから、そのような受講者ともうまくやっていく講義方策を考える機会をいただけたと考えることにしようと覚悟した(彼のような公務員でも、いつかダンス鑑賞を自発的にしようと思う可能性についての「一縷の希望」は棄てないでおくが)。
 これもまた「レッスンプロ」の悲哀である。きっと、貴族に仕えその子どもにダンスを教えるプロは、どんなに筋の悪い子どもでもその子どもに将来ダンスをパトロネージュしてもらうかも知れないと思っては気を取り戻して、ダンスが嫌いにならないよう、丁寧に丁寧にダンスを教えていたに違いない。

P.A.N.通信 Vol.45掲載