■世界の崩壊を止めるもの
上念省三<関西国際大学コミュニケーション研究所>
この2ヶ月、関西を代表するダンサーの充実した公演が相次ぎ、忙しくも至福の日々を過ごすことができた。3人の女性ダンサー、北村成美、エメスズキ、森美香代は此花区民ホールでの「コンテンポラリーダンス・イン・此花」(3月29日)でそれぞれ充実した成果を見せ、北村は続いて「i.d.」「rep」「ラベンダー」の3つの近作を「ダンスマラソン」で一挙12回上演(4月中旬、東山青少年活動センター)。アトリエ劇研では坂本公成、由良部正美、ヤザキタケシ、砂連尾理+寺田みさこらを2週間にわたってセレクト(5月初〜中旬)。山下残はアイホールで「ダンスを語るダンス」として「透明人間」を世に問うた(5月初旬)。
一方、この2ヶ月、ぼくは演劇と深く関わる機会にも恵まれている。一つは神戸アートビレッジセンターの「演劇ジャンクション」という競作企画で、鈴江俊郎、西田シャトナーの稽古場を見、インタビュー記事を書き、最後はトークショーの司会までした。もう一つは現在進行中だが、ラフレシア円形劇場演劇祭を前夜祭から後夜祭まで、全部つきあうことになっている。その間に、何人かの舞台人にインタビューや何やらぶんゆっくり話を聞く機会もあった。
ぼくたちは今、表現においても、社会的にも、なんだか難しい場所にいるようだ。というのも、この2ヶ月というのは、イラク侵攻が始まり、それがほぼ「終息する」という期間であったことと重なっている。山下は前作「そこに書いてある」で、「9.11」のNYに偶然居合わせたダンサーの言葉を大きく扱った。砂連尾+寺田の「ユラフ」は、あのビルが倒れる様がムソルグスキー「展覧会の絵」の「キエフの大門」にぴったりだというところから始まったという。ヤザキをはじめ、多くのダンサーはNYで学んだり、生活したり、公演をした経験をひじょうに大切に思っているに違いない。
鈴江も西田も、控え目に言って、自分たちの演劇への関わりが、人間は戦争を止めることができるだろうかということと深く関係しているはずであることを、痛切に感じていた。二人の劇はずいぶん違う表われをもっているようだが、自分たちの演劇への取組みが本当の意味で真摯でなければ、戦争を止めることなんかできっこないということでは一致しているようだった。
OMSの閉館等に代表される一連の劇場問題を重ねてもいい。一朝事あらば、ダンスや演劇、つまりぼくたちは、まっ先に切り捨てられる存在であるということに気づかせてくれた。この流れの上に有事関連法を置いてみたほうがいい。
山下残は前作で、ひじょうに刺激的な形で「9.11」を相対化した。当日NYで体験した者の言葉に対して徹底的に茶々を入れるという態度は、当時は観る者の神経を逆撫でするものに思えたが、今思い返すと、その留保的で相対化するという姿勢は、奇妙なほどに今のぼくの感覚に合致している。何も、彼個人が予言者的であったとか、チョムスキーばりの知性の持ち主だったと言う必要はあるまい。ただ、論理的に説明することの難しい感覚的な違和感を、ほとんど丸のまま投げ出すことに成功していたことは間違いない。
砂連尾+寺田の「ユラフ」が9.11からスタートしながらも二人の関係性にどんどん極小化していったことも、ダンスというもののありようを教えてくれる。北村がただ踊り続けることから見えてくるもの、坂本らのMonochrome Circusが現出させる共同体空間も、この世界をぼくたちの手許に留め置くために貴重でいとおしいものであり続けているに違いないP.A.N.通信 Vol.45掲載