■踊りまわり(13)〜親密圏ダンス〜
小暮宣雄<京都橘女子大学文化政策学部教員>
1月早々、川西市文化会館で八重山民謡の大工哲弘とザ・ひょうたんフィルハーモニック(主宰の三木俊治の地元である)のライブがあった。最後になって普通ならばアンコールというところだけれど、関西にいる沖縄出身の人が詰めかけているので「このままでは終われないでしょ」と大工さんが言うや否や、会場が「カチャーシー」踊りの場にかわった。
エイサーの若者たちも琉球舞踊の面々もそして客席にいたお年寄りや小さな子どもを抱えたお母さんたちもステージに上がったり一番前のところで楽しく踊っている。中にはスーツ姿の男の人もいる。阿波踊りは少し出来るのだがどうもカチャーシーの手の使い方が分からなくてぼくは席から離れられなく残念に思っていた。たぶん地元の人も沖縄関係者でないと踊りの輪に入りにくい気持ちがあったのだろうと思う。
沖縄は歌舞音曲の邦だからと割り切ってしまわないで、こんないい文化はどんどん色んなところでも取り入れればいいという考え方が広まってきている。この時出ていた大阪三線クラブにもそんな雰囲気があったが、インターネットサイトにカチャーシーの踊り方が紹介されていたのには驚いた(http://www.ishigaki.com/3sin/f2.htm)。
さっそくその手首の返し方の図解通りに練習した後、沖縄民謡のCDをかけて踊ってみた。おお、ちょっと様になってくるではないか。家族に見てもらって様になってきたかどうかチェックしていくとコツが少しずつつかめる、腕を浮かしておくのは結構しんどいが。
ぼくはアーツマネジメント論などの講義で鶴見俊輔ゆかりの「限界芸術」というコンセプトをよく使う。だれでもアーティストになりうる環境というのがこの限界芸術を取り扱うポイントだと思って説明するのだが、なかなかに理解されないことが多い。恋をしたときだけアーツ、辞世の句を作るような非常時アーティストという例を出すが、カチャーシーを踊りながらこれが限界芸術の環境づくりなんだなあとつくづく思う。それでもその親密な文化圏以外の者にとっては、ワークショップや説明図解がないと出来ないし、それでも残るバリアは心理的な抵抗感だと思う。だから、コンサートのあととかお祭りのムードとかが必ず必要になるのだ。
それって、公共政策の重要な概念として「公共圏」とともに議論される「親密圏intimate sphere」ととても関連するのではないだろうか。もしかしたら「限界marginal(arts)」よりも「親密な(アーツ)」、あるいは「親密圏芸術」という方が分かりよいのかも知れないとも思う。
なお、今回正月家族でダンス遊びをしたり連句ごっこなどをしたりしたのでそれを親密圏の舞踊として紹介しようとはじめ思っていたのだが、こういうのは秘密だからいいのよと家族の約一名が強く言うものだからカチャーシーを例に出して書いた。ここに紹介する写真は正月に同じく娘二人がやっていたお題イラストごっこの一部で、交互にお題を出してそれにイラストつけるという遊び=「メイツアーツ」である。
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P.A.N.通信 Vol.43掲載