■テクノとマッチョ 8 時間について

 田村武<京都精華大学講師>

 近頃、本屋に行くと日本語を扱った本がたくさん目につく。その中でもよく売れているものは言葉を発することを勧めるモノだそうだ。言葉を紡ぐことは思考を重ねることに繋がる。難しい熟語を重ねればいいというわけでもないだろう。言い表したいことを適切に相手に伝えるには、やさしい言葉を探す。「アイデンティティーがどうの」というよりも、「ぼくの存在が」というよりも、「ここにいることが」というほうが伝わる気がする。硬い表現よりも柔らかい表現がわたしは好きだ。ごつごつした表現をわざと使い注意を引く場合ももちろんある。でも、それは特別な場合に残しておきたい。
 このことは先日、コンテムポラリー・ダンスの初心者向けワークショップを見ていて思ったことと繋がる。
 経験の薄い人の場合、「ドタンッ!」「バサッ!」と床を叩く音が教室に響きわたることがままある。例えばジャンプをしたときに、足裏のどの部分からどのように床を捉えていけばよいのか。体を動かすための情報量が、経験者に比べて圧倒的に少ないためにそれは起こる。どのくらいの力で動けば床がどのくらいの反発を起こすのかがわからないからだろう。でも、それを理解するには言葉を獲得して、使えるようにならないといけない。床に対して、「フワッ」とやわらかく身を置くための言葉の学習が必要だ。小さな子供が言葉を覚えていくように「身体の言葉」を身につけて使いこなせるようになる。硬い言葉と柔らかい言葉を使い分けすることで、「ドタンッ!」と「フワッ」を動きわかる。体の経験と頭の理解を経て「身体の言葉」は増えていく。 美しい身体表現者は豊かな「身体の言葉」の使い手である。

P.A.N.通信 Vol.40 掲載