
ゲスト: 霜田誠二 (アーティスト)
聞き手: 小原 啓渡
霜田誠二 プロフィール
1953年長野市生まれ。
71年長野高校を一年間休学中に詩を書き始める。75年大阪市立大学二部文学部在学中に身体表現を始める。
77年上京後、都内及び国内ツアーを開始。82年パリに3ヶ月滞在、帰国後アートイベントを企画。
87年から西ヨーロッパの公演旅行開始。
90年から西ヨーロッパ・アジアの公演旅行開始。現在までに30各国120を越える国際芸術祭に出演。
93年から「日本国際パフォーマンス・アート・フェスティバル(ニパフ)」を開始。
96年夏から「アジア・パフォーマンス・アート連続展」を開始。
98年からこの分野の日本芸術家の本格的な海外紹介や、海外での日本やアジアの国際パフォーマンス祭の共同企画を多数行う、昨年アジアのパフォーマンス祭を結ぶ「プラットフォーム・アジア・パフォーマンス(パパ)」を設立。
2002年9月に、ニューヨークベッシー賞を受賞。
強い身体性と私的な感情を合わせ持つ作品は各国で高い評価を得ており、この分野
の世界的な流れを作る一人と言われている。
「創造とは何か」をテーマに、様々なジャンルで活躍されているアーティストの方々にお話を伺っています。今回は、アーティストの霜田誠二さんにお話を伺いました。
小原
霜田さんにとって創造とは何でしょうか?霜田
生きると言うことでしょう。どのように生きるかと言うことを考えていた若かったころに、詩を書きはじめて自分にとって創造ということの必要さが十分分かった。それをしなければ、いかに自分を失うか。自分を失えば、どのようなことになるか。日本の現代の歴史が、そのような危うさを教えていると思うし、創造的な生き方をすることは私達の課せられたものと思っている。ひとり一人が十分に生きるということが大切だし、それを行なうための行為が創造というものだと思っています。小原
霜田さんは何故創造活動を続けておられるのか?霜田
私は、高校生の頃に詩を書きはじめて、それがやがてその言葉を超えた表現をしたいという欲求になり身体行為を使うパフォーマンス・アートに辿り着いた。それがそのように呼ばれるものかどうかはどちらでも良いけれど、奇妙なことをしたいという内的な欲求を無視したり、殺さないでやって来た。私にとってはそれが当然であるし、現在世界各国のアーティストを招待するニパフを主宰していて思うのは、あちらこちらにそのようなアーティストが、かつてはアウトサイダーと呼ばれてもやり続けて来て、現在は彼等こそが一流の国際アーティストであるという認識に世界が辿り着いて来ているということです。一昨年にニューヨークのベッシー賞(ダンス&パフォーマンス賞)のパフォーマンス・インスタレーション・ニューメディア部門(毎年1名)をアジア在住のアーティストとして初受賞したのは、その独自性を高く評価されたからです。若い人に言いたいことは。自分を信じてやり続け、それを通じて世界を見ようと思ってほしいということです。その方がずっと面白いし、たとえ今周りに分かってくれる人がいなくても必ず出会うべき人には出会えるようになっているのがアーティストの人生だということです。小原
霜田さんが作品を作られる時、大切にされているコンセプトの様なものがありますか?霜田
パフォーマンス・アートは、個人の仕事です。詩を書くこととか絵を描くことと同じように。自分がなんであるのかを自分で考えるという仕事です。人が書いた台本を演じたり、振り付けられた踊りをすることではない。現在パフォーマンスに関わる人々が世界的に増えて来ているのは、個人が見えなくなって来ている時代に対しての抵抗の動きでしょう。私にとっては、現実の価値観を作り替える大事な作業です。情報を組み換える作業。それが自分を見つめるということになるし、その見つめ方が強く深くなればなる程普遍性を持つと思っています。小原
創造力の源泉は何だと思われますか?霜田
私は現在でも毎年10回程度の海外への公演旅行に出かけています。80年代は西ヨーロッパ中心だったのが、90年代初めからは東ヨーロッパ、そして近年はアジアの動きがすごく面白い。こんなところにこんなアーティストが潜んでいたのかという驚きの連続。そして、そんな彼等と出会うキーワードは「私はアーティストである」という一点です。そうでなければ出会えない人たちに沢山会って来ました。自分がいかにそのアートというものに貢献できるか?私達は次の時代に、アートの可能性を引き継がなければいけない。その楽しさや、すばらしさ。創造力の源泉は、あくまでポジティブな考え方です。楽しいから相当なこととも戦えるし、すばらしいから辛いことにも耐えられる。そしてそれが未来を切り開く唯一のことと思っています。P.A.N.通信 Vol.38 掲載