ゲスト: 丹野 賢一(パフォーミング・アーティスト)

 聞き手: 小原 啓渡

 丹野 賢一  プロフィール

 1965年東京生まれ。
 1984年田中泯主催「舞塾」第4期に参加し、日本各地の公演に出演。
 1985年より独自の活動開始。
 1992年以降は、3000個のコンクリートブロック
  ・有刺鉄線・赤い液体の池・4トンのピンクの粉
  ・パワーショベル・球体、工業部品のボルト、
  鏡などを使用した会場を塗り替えるほどの大掛かりな舞台装置と、
  独特の身体の動き・「もの」と絡む行為によるソロ作品の提出を続ける。
  意味・物語・感情といった予め想定した事項の伝達ではなく、
  現場にある身体・もの・音・光、そしてそれらが引き起こす事態が、
  人にダイレクトに訴えてしまう事に関心を寄せる。
  公演の場所も劇場に止まらず、
  空地や倉庫・廃墟・洞窟・鶏舎・林・川・ダムなどと多岐に渡る。
 1997年「第4回トーキョージャーナル大賞(パフォーミングアーツ部門)」を受賞。
  「8BC」紙上でも1996年のベストパフォーマーに選定される。

「創造とは何か」をテーマに様々なジャンルで活躍されている
アーティストの方々にお話を伺っています。
今回は3000個のコンクリートブロックや鏡など、
会場を作り替えるほどの大掛かりな舞台装置を用いた
パフォーマンスで注目を集めている
丹野賢一さんにお話を伺いました。

小原
丹野さんの舞台というのは、はたしてこういう表現が
あるのかどうかは判りませんが、
「アーティスティック・エンターテイメント」だと思うんですね。

一般的に芸術性とエンターテイメント性というのは
相反するように受け止められていますが、
これからはこのラインかなと個人的には支持しています。
このような舞台を始められたモティベーションは何だったんでしょうか?

丹野
僕が舞台を始めたきっかけとしては、とにかく
何かしっくりくるものがなかったということがあると思います。
ただ、自分がしっくりこないと言うとき、
「自分」というのはあくまで他との
コミュニケーションにおいての自分だということです。

基本的に、観るとか観られるとかにおいて、
私には「自分」を完全に独立させて考えるというような
思考はないんです。
あくまで舞台上でも、今自分のやっていることが、
その時間とかその場でしっくりきているのか、
それとも外してしまっているのか、
常にチェックしながらやっていくんですが、
それはあくまで他者がいるその時間と空間において、
しっくりきていると言うことなんです。

小原
つまり、単に個人的な感性や思考を掘り下げて提供するだけ
というのではなくて、常に瞬間的な他者と自分との
コミュニケーションにおける共有感覚を探っているということでしょうか?

丹野
そうですね。

小原
それでは、丹野さんにとっての創造の源泉っていうか
ルーツもそのへんにあるんでしょうか?

丹野
ある時期、僕は何も信じられなくなった時期があるんです。
例えば僕が何かを言っても、相手にはそう聞こえていないかもしれない
と思い始めたんです。言語が信じられなくなった。
論理っていうものだって言語だから、人間が作ったものですから、
かなり曖昧です。

自分の感覚で信じているものの中にも、相当、教育なり環境なりに
すり込まれた後天的なもの、つまり信用できないものがある。
基本的には両方信用していないし、両方にごまかしがあると思うんです。
そうすると結局、お互いフィードバックっていうか、
行ったり来たりしてるしかないんですよね。
でも、とりあえず何かを仮定してでも、
何かを信じなければ生きていけないっていうのがありました。

そんな時に舞台で、例えば指をこう動かすんじゃなくて、
こうやって動かすほうが正しいんだなって
思える瞬間だけはあるなって思ったんです。
それは間違いなくあったんだから、
それだけはあると仮定しようと思ったんです。
だから今生きてるのも、それがあるからで、根源的なのはそこなんです。
身体のなかに何か、絶対こうじゃなくて、
こうなんだっていう瞬間があって、
それだけは信じてみようかなって思ったんですね。
だから舞台をやってないときでも基本的にはそれが軸になっているし、
「これだ!」っていう瞬間を常に求めています。

そういう意味では僕にとって創造っていうのは、
あまり意識して使うことのない言葉ですが、
普通に生活することとか、生きることと分けて考えられないものに
なっているのかもしれません。
しっくりするっていうか「これだ!」っていう瞬間に、
正しいんだなっていう感じを覚えるし、
その感覚が一番濃密に出せるのが、
僕が舞台に出ている時間なんだと思います。

小原
今日のお話の中で「しっくりくる、これだっていう瞬間」
という丹野さんの表現がとても心に残りました。

ありがとうございました。

P.A.N.通信 Vol.25 掲載